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メイド・イン・ジャパンのキリスト教 ( マーク・R. マリンズ Mark R. Mullins 高崎 恵 )

なんで日本にはキリスト教が根づかないの?という疑問は、何というか、「宗教」一般に興味をもってしまった日本人にとっては、かなり普遍的な問題意識としてあるだろうと思う。にしては、この問題を学問的にちゃんと追求した論考は意外に少なく、近現代の流れの全体を見渡した書物としては、これが初めてとなる。書いたのが日本の研究者でなかったことが、ちょっと残念な気もする。それほど読みやすい訳ではない、というのもあるので。<BR>前半の、近代西洋とともにやってきた様々なキリスト教教会の整理や、内村鑑三に代表される無教会運動などは、比較的よく知られているところである。ので、これに続く「自己修養」タイプのキリスト教、そして「第二波の土着運動」における教義と実践をテーマにした所が特におもしろかった。「他力」に傾いた内村に対して、近世以来の、自力と道徳の陶冶を重視する宗教的運動の流れを復活させた前者、それから、1930~40年代に勃興してきた、「日本の伝統的な文化」(なにより、死者〔先祖〕祭祀。あるいは家・日本神話など)を積極的に吸収していって新たなキリスト教を創造した後者である。ここにきて、「日本製」であることの本義が、よくわかってくるわけだ。<BR>不満といえば、さらにその後、現在にいたるまでのキリスト教受容の動きの把握の弱さである。原著が1998年に出版されたことを考慮しても、結婚式における高感度アップをもって新展開を語るのでは足りない。たとえば、現代日本人が「あの世」に言及するのに「天国」と口にするときの脳裏にあるものは何か。あるいは、神社仏閣的な「カミ・ホトケ」ではなく、絶対度の高い「神様」にすがろうという機運がこの国の人々には存在してはいないか、など、考えてくれるとありがたかった。

 西洋からやってきた宣教師によるキリスト教とは異なる“メイド・イン・ジャパンのキリスト教”、それがキリスト教の土着運動である。日本は実際のところキリスト教の布教においては有数の「失敗例」らしい。現在、お隣の韓国では国民の4分の1がキリスト教信者なのに対し、日本の信者は国民の1%にも満たないという。それでも作者が日本のキリスト教土着運動を取り上げるのは、グローバル・カルチャー(世界宗教)を根付かせるには「メタカルチャー」(普遍的要素)を抽象概念のまま押し付けるのではなく、その土地固有のものの中に見出させることが重要、という考えを持っているからだ。日本はキリスト教の布教において難攻不落の土地であったがゆえに、その土着運動は研究に値するという訳である。<BR> なぜ、日本はキリスト教布教において手を焼いたのかという分析も興味深い。日本人は単一民族とよく言われるが、それは明治以降創造された概念であり、前近代においては封建体制下の個別主義、分離主義によって、まったく単一的ではなく、どちらかといえば混成的で、それが宗教的多様性にもつながっていると言う。キリスト教を出発点としながらも、独自の要素を加えるうちに「新宗教」に近い存在となっていったキリスト教土着運動も紹介されているが、今の新宗教の隆盛や、“結婚式はキリスト教、葬式は仏教、正月は初詣”といった宗教の使い分けを見ると、ひとつの宗教の枠には収まりきらない日本人の特殊性が見えてくる。<BR> グローバリズムや日本文化論といった観点からも大変刺戟を与えられる本である。

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