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アメリカ素描 ( 司馬 遼太郎 )

 この本が読売新聞社で連載されたのは昭和60年であるから、きっと司馬氏が米国を訪れたのは昭和59年か60年のはじめであろう。文中には同時多発テロによって一瞬にして崩壊した世界貿易センターで著者が食事をした記載があり、年月を感じさせる。<P> 年月は経っても司馬氏の米国観は、今日でも十二分に通用するものだとは個人的に思うが、その是非はあえてここではふれない。<P> 本書にとって読者にもたらす一番重要なものはといえば、私は米国に対する最低限の知っておくべき知識を提供してくれることだと思う。言わば、米国を訪れる際に知っておくべき礼儀としての知識だ。<P> そういったものを提供してくれる、本書は貴重な一冊である。

本書で最も重要な章は「明治の心」であろうと思う、<P>特にP.322のポーツマス条約に反対した日比谷騒乱を次のように記述している点は特筆すべきである、司馬は書く、「江戸期の一揆は、飢えとか重税とか、形而下的なものでおこった、ところが、明治38年に、ポーツマス条約に反対した群衆は、国家的利己主義という多分に観念的なもので大興奮を発した、日本はじまっていらいの異質さといっていい」、<P>はたしてそうだろうか?<P>当時の日本の人口は4500万人ほど、日露戦争の戦死者は88429人(靖国神社の日露戦争関連御祭神の数)である、巨大な数字である、徴兵令施行から30年、当時の先進国に対して充分対抗できるまでに成長した陸海軍と全国津々浦々から出征した兵士達、彼らがその後続々と戦死して帰国する姿と迎える家族達の慟哭が司馬の頭脳にはいっさい反映されていない、国民はこの「数字」を知っているからこそ日比谷騒乱が起こったのだと解釈するのが妥当であり、けっして「観念」などが原因ではなかろう、<P>日露戦争の巨大さを実感できるものが誰の身近にもあります、近所の神社や忠魂碑の側などに日露戦争戦死者の慰霊碑が簡単に見つかるからです、戦死者13619人の日清戦争や同4850人の第1次世界大戦の慰霊碑が心して探さなければ見つからないこととの大きな相違点です、<P>明治国家が総力をあげて「国民国家」として戦ったと書いたのは司馬自身である、203高地の戦死者累増に怒った国民が乃木将軍の自宅に狼藉したと書いたのも司馬である、<P>司馬の巨大な想像力はある点においてはなぜか一切の思考を停止し、ある「ひとつの方向」へなびいていることを「ロシアについて」で再レビューする予定である、

司馬遼太郎さんは、アジア関連の文は多いけれど意外とアメリカについては少ないのではないでしょうか。司馬さんがアメリカに渡って何を思ったのか、何を読みとったのか、興味があれば読んでみてください。

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