聖書vs.世界史―キリスト教的歴史観とは何か みんなこんな本を読んできた 聖書vs.世界史―キリスト教的歴史観とは何か
 
 
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聖書vs.世界史―キリスト教的歴史観とは何か ( 岡崎 勝世 )

本書の「普遍史」はユダヤ人による聖書記述である。絶対神が万物と人類を創造し、世界を支配する歴史観である。中国人も歴史観念は劣らないがキリスト教徒とは異なる。司馬遷以来、創造説に執着しないし、自己を中華とし「異物」は全て夷荻として片づけた。そこに歴史観の発展の契機はない。しかしキリスト教徒は、何事も聖書に沿って解釈する必要があった。まず科学的歴史家の先駆者たるヘロドトスと対決する必要があった。そして護教的意図からローマを取り込み、さらに地理的知識の拡大からインド、中国、新大陸と「異物」が現れるたびに、それまでの前提は否定され、歴史観自体が弁証法的発展を遂げた。聖書記述と新事実の矛盾を直視する態度こそ「世界史」を生み出す原動力になったのだろう。なお本書では「普遍史」の崩壊を少々衒学的に議論しているが、そんなことをせずとも「キリスト教信仰」そのものを抹殺したダーウィンの「進化論」にご登場願えれば十分だと思われる。

 聖書対世界史という題名であるが、この書物は西洋における「世界史観の変遷」を追った書物であり、新たな事実の発見で世界観が覆ってゆく様には、ミステリー小説を読むような知的興奮がある。  古代ギリシャ・ローマの時代、世界史とは、アッシリア、メディア、ペルシャ、ローマという世界帝国の興亡史として認知されていた、という冒頭の記述から、おもわずへぇ~ と感心。それがキリスト教の登場で紀元前4000~5000年程度に世界創世が置かれた結果、事実と合致しないエジプト史の扱いが古代神学者の間で大きな問題となりこれを神学者達がどう解決していったのか? 大航海時代にもたらされた中国の歴史の深さに関する知識は再び古代末の論争を興起し、ついにはキリスト教的世界史観が崩壊に至る様から、「古代、中世、近代」という近代的世界史観成立の流れを追う記述はスリリングである。あまり類を見ないアプローチの内容かつ高額な書籍として出版してもよかったのではないかと思える程の内容の充実。買って損はありません! 最近同著作者による世界史対ヨーロッパという続編的新書が出ましたが、個人的には本書の方がコストパフォーマンスは圧倒的と思う。

普段なにげなく使っている「世界史」が、実は「普遍史」(簡単にいえば聖書に出てくる記述の年代を確定しようとする試み)に取って代わったものだ、ということがよくわかる。逆から言えば「世界史」には普遍史という前史があり、世界史は普遍史のしっぽを引きずっている、ということだ。<P> 世界といえば本来地球上のすべての土地を意味するはずだが、世界史の場合はそうでない。「世界史」を形成するものは歴史認識者の視野に入ったものだけである。(ヘロドトスや司馬遷が書いたのも世界史である)<P> 今日「世界史」と銘打って出版されているものは歴史がシュメールに始まることを承認している。これは、世界史に幾多の修正がほどこされようとも、基本的には聖書の地に起点を置く「普遍史」の枠組みを踏襲していることを意味している。小著ながら世界史の認識枠組み自体を反省し、意識化することを迫るものだ。<P> そんな理屈を捏ねなくても、ニュートンがアリウス派であったことなど、興味深い記述が随所に鏤められている。

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