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オリエンタリズム〈上〉 ( エドワード・W. サイード Edward W. Said 今沢 紀子 )

本書を読んでまず感じたことは、現在イスラエルとの紛争で弱い立場に立たされているパレスチナ人である著者が、欧米人が抱きがちな中東地域に対する偏見・先入観に対抗しようとして、こんな大著を書いたのかということだ。欧米人がオリエントに対して、敵対的・支配的な意図を持っていたから、偏見にみちた「オリエンタリズム」的思考様式を生み出し、そのような思考様式の再生産が植民地主義の終わった現在に至っても続いていることを、著者は批判したいのだろう。 <br /> <br />さらに感じたことは、明治以降、欧米諸国を手本にして近代化を果たした日本人は、無意識のうちに欧米流のオリエンタリズムを共有しているということだ。日本人が欧米以外のアジア諸国に対して抱きがちな、「この国は遅れている」という類の漠然とした優越感は、単なる欧米コンプレックスの裏返しや自文化中心主義ではなくて、経済大国日本の国民としての支配の意志を秘めた「日本型オリエンタリズム」なのかもしれない。「我々は異文化をいかにして表象することができるのか?」という著者の問いかけは、私たち日本人に対しても、深く突きつけられているようだ。

 この本を平らげるには基礎体力が必要である。なぜなら、著者のテーマはオリエンタリズム批判ではあるが、その批判は、我々が常々正しいものと信じ込んで使用している近代西洋文明がもたらした例の手法、を批判しているものでもあるからである。”例の手法”が何であるのかを一言で言ってみれば、言説による広義な学の体系とその制度化により築かれる対象の普遍化である。実体は言語化できない部分を持ち、体系や制度は政治により条件づけられるという原理を持つという自覚なしには、著者の主張を理解することは難しい。 <br /> 著者は、この本の上巻において、古代ギリシャから近代までのオリエントを対象とした西欧の代表的知識の集積を個別に分析した上で、オリエンタリズムは、本当は理解していないオリエントという対象を、己に了解可能な言説の体系として認識し、植民地政策という政治的条件のもとで、普遍的真実であるかのように構築された偏見に満ちた虚像であると述べている。

大学の授業(朝鮮史)で取り上げられ、ノートをとりながら読み切った。繰り返しが多く(逆に言うと、繰り返しが多いから、同じことをどこかでわかればいいわけであるが)、割と平易な訳のため苦痛を感じずに読めた。ただ、読んで感じたこととかをそのまますぐにノートに書いたりしながら読んでいくと、繰り返しのところでまた同じようなことをノートにとってしまったりするので、この本に関しては一度最後まで読んでからノートをとった方がすっきりしたノートになると思います。<br> 西洋がオリエントを虐げる様や、西洋人のオリエントについての演説などの抜粋の部分では平易な訳のおかげか久々に西洋だけと限定はしないが植民地支配に対して頭に血が上るほど腹が立った。それほど引き込まれるような日本語訳になっているように思えました。

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オリエンタリズム〈上〉&nbsp;「オリエンタリズム」とは西洋が専制的な意識によって生み出した東洋理解を意味する。本書(邦題『オリエンタリズム』)はその概念の誕生から伝達までの過程をあますところなく考察した1冊だ。サイードは、東洋(特にイスラム社会)を専門とする西洋の学者、作家、教育機関などの例を挙げ、彼らの考えが帝国主義時代における植民地支配の論理(「我々はオリエントを知っている。それは西洋とはまったく違った、なぞめいた不変の世界だ」)から脱却しきっていないと厳しく批判している。
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