海辺のカフカ〈上〉 みんなこんな本を読んできた 海辺のカフカ〈上〉
 
 
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海辺のカフカ〈上〉 ( 村上 春樹 )

 妻が先に読んでいいかと乞うので渡していたらいつまでも読み進まない。ある意味では村上春樹の小説を何ヶ月もかけて読むというのは相当に贅沢なことのような気がする。羨ましいくらいだ。たまらなくなったぼくは上下二冊を妻から取り上げて読み始める。<P> ちょうどまる四日間でぼくはこれを読み終える。何ヶ月もかけてこれを読もうという妻のプランに較べると、あまりにせわしない読書だし、それだけにさほど贅沢とは言えない気がする。他の作家ならともかく、ぼくはこと村上春樹となると、実は一日数ページずつ時間をかけて読むというようなことをやってもいいと思っている。村上作品の場合はある意味で読むことを急がせられない。速く読まなくてはならないという本でもない。自分の日常のどこかの隙間の部分にねじ込んでしまえばそれで構わない。そうしておくと、どこか目に見えない影のような部分から、自分の側にじっくりと染み透ってくる。それが村上春樹風効果であるような気がしている。<P> ある地点から、極めてリアルなものに錨を下ろすようになった(とぼくが感じている)村上春樹の小説作法が、懐かしい『羊をめぐる冒険』の頃に戻ったような感がある本書。カフカという不条理を要とする作家にはあまり錨をおろすことはできないと思うから、この本は極めて抽象的な生・死・性・愛・時間といったものを作中にも頻繁に登場する「メタファー」という作法で括った小説になっている。村上春樹はメタファーを小説作法にしている、と言い換えても構わない。<P> 初期長編の頃から「死」を題材にした作品を書き続けている。「ヤミクロ」の世界であり、ねじまき鳥にゼンマイを巻かれてゆく生のやむなき時間と、その淡い影たちのことだ。数々の幽霊と、喪失の群れとを。『ダンス・ダンス・ダンス』でも『ノルウェイの森』でも。他のもっと有名な代表作と言われる作品たちの中でも。<P> 本作ではそれらの主題をミステリアスな物語で漕ぎ出している。独特の語りの愉快さ、ドライさ、距離感、突如踏み込んでくるような人間関係の不自然なのに極めて自然なように思えてきてしまう不思議な図式。ギリシア悲劇という構図を運命という言葉に置き換えて、ベートーベンの生涯が効果的な和音を奏で、戦争という暗い歴史のなかのいくつもの殺人と残酷が、少年少女と生との間にクールな距離感をもたせ、「海辺のカフカ」という題材の絵本へと集約してゆく。<P> 結論などのない作品を書き続ける作家。いろいろなものを暗示はしても示唆はしない。ユーモアと美しい月の光が交錯する。……メタファー。<P> 数年に一度こうした奇妙な作品が村上春樹の手によってできあがる。ぼくの人生にとっても、その頻度はけっこういいペースであるように思われる。

ムズカシイですね評価は。若い村上春樹ファンなら取りあえず★4つ以上は行くでしょうが・・・、デビュー当時からのファンである私には、なんかこう鼻に付くんですよね、主人公の話し方、相変わらずの"村上春樹好み"のマテリアルとかがねぇ。小説世界に没頭する前に、作家・村上春樹の作為が見えすぎるんですよ、特に本作ではそれが顕著です。<P>どうなんでしょうか、作品の後に作者の存在が見え隠れすると言うのは?<BR>なんか作品を追うごとに、悪くなってる気がしますけれども。<BR>あと、どの年代層がターゲットなんでしょうね?それもわかりません。<BR>申し訳ありませんが、あえて厳しい評価をさせていただきます。(すみません皆さん)

この小説にはたくさんの引用が登場する。それはかつてのようにただの書物内の引用とはなにか違う。それはまるでWEB上のハイパーリンクのようだ。クリックしたければすればよい。そのまま、無視して読み進んでもいい。引用と本文の関係がかつての関係とは違って見える。<P>そんな風に思えるのも、この小説が変化の時代の知識や言葉に関する小説だからだと思う。文字の読めないナカタさん、過去にこだわる15歳の少年、記憶のなかに生きる女性・・・。記憶や言葉/文字、知識をめぐってはりめぐらされた挿話の数々は、さまざまなコントラストを描きながら、頭のなかの凝り固まった思い込みを、やさしく、ゆるやかに、壊してくれる。村上春樹という小説家に対する固定化したイメージ、小説というもの関するある姿などという嘘、ありもしない答えやノウハウ等等が、頭のなかでゆっくり形を失っていくさまが心地よい。<P>村上春樹は「書を捨て街に出よう」などとは言わない。書は捨てられないし、街には出なくてはいけないだろう。だが、問題はそんなことではなく、人の数だけ、書も街も存在し、それを他人と共有することがどれほど困難で、苦しいことなのかということなのかもしれない。<BR>その意味で、村上春樹はウソをつくのをやめたのかもしれない。

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海辺のカフカ〈上〉&nbsp;&nbsp;&nbsp;15歳の誕生日に家を出た少年は、高松で「長いあいだ探し求めていた場所」と感じる私立図書館にたどり着く。館長の佐伯さんと手伝いの大島さんが運営するその図書館に、毎日のように通う少年。しかし8日目の夜、突然意識を失った少年は、神社の境内で血まみれになって倒れていることに気づく。一方、東京中野区で猫探しを仕事とする老人ナカタさんは、ある日、縦長の帽子をかぶり、長靴をはいた奇妙な男と出会う。第2次大戦中に起こった不可解な事件、「カラスと呼ばれる少年」、1枚の絵画と歌、殺人、少女の幽霊…。多元的で重層的に構築されていく物語たちはミステリアスに絡み合いながら、やがて高松へと収斂(しゅうれん)する。 <p>&nbsp;&nbsp;&nbsp;かつて『アンダーグラウンド』でオウム真理教の破壊的な物語と対峙した村上春樹は、それに拮抗(きっこう)するだけの力をもつ物語の再興を自らの命題とした。その命題へのチャレンジといえるのが本書である。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の内的世界と、『ねじまき鳥クロニクル』で追求した歴史と個の関係は、より深化し、子どもの夢と大人たちのつくりあげた現実の狭間にある迷宮のなかで、さ迷い、成長していくひとりの「少年」へと結実した。そして、ギリシャ悲劇における親子のあり様や、『源氏物語』に登場する生霊などの文学的モチーフが巧みに取り入れられたストーリーは、強力な吸引力をもって読者を離さない。 <p>&nbsp;&nbsp;&nbsp;読み手は、ただ作品がもつ物語の力に身を任せていれば、多彩で奇妙なキャラクターたちや、息をもつかせぬ展開が、充実した読書体験を約束してくれる。そして読後、不思議な感動を味わい、涙を流すことになるだろう。多くの悲しい運命を背負った人たち、たくさんの「死の予感」が涙を誘うのではない。この物語のなかで、子どもから大人へと成長するにしたがい失ってきたものを発見するのだ。そうした自分にとって親密な記憶が、涙とともにとめどなくあふれてくる。(中島正敏)
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