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ベトナムから来たもう一人のラストエンペラー ( 森 達也 )

表題は「もう一人のラストエンペラー」である。<BR>なぜ、大日本帝国は満州国を建国し、ベトナムは見放したのか。<BR>当時の国際情勢から見れば、当然の帰結ではある。<BR>しかし、維新後の日本にはアジアの民族の解放という理念が強く意識された時代があった。そして列強としての立場からその理念は形骸化されていくのであるが。<P>ここにクォン・デという日本に憧れ、日本に期待し、日本に翻弄される貴公子が登場する。<BR>クォン・デの生涯こそが維新後の日本が歩んだ道を反照している。<P>日本で忘れ去られただけでなく、祖国ベトナムでも救国の英雄から外国勢力への依存が強すぎる姿勢への批判を受け、次第に忘れ去られた存在になりつつあるクォン・デ。南北分断からアメリカとの戦争といった外部勢力に翻弄されるベトナムの軌跡と軌を一にする。<BR>そこには大国の都合に翻弄される小国の悲哀がある。<P>ドキュメンタリー作家として有名な著者らしく、本書もドキュメンタリーの要素が濃厚である。<P>「問われるべきは事実があったかどうかではなく、僕が提示した世界観なのだ」<P>著者の思いはここに尽きるだろう。<P>著者にとってはアジア近代史の空白を埋めるとか、日本とベトナムのよりよい関係のためなどといった動機は重要でない。著者の提示する世界観、他の映像作品や活字作品に通底する世界観を是非今後も追求していってもらいたい。

森達也さんの作品はほとんど読んできましたが、森さんが一貫して述べている物事を二元論で捉えることへの疑問や不安、曖昧さとは物事の豊さではないのかという主張がこの作品の随所に描かれています。ドキュメンタリーとは主観であり、歴史観もまた主観であるという認識は森さんの表現者としての誠実さを物語っていると思います。多くの人に読んでもらいたい本です。

森達也さんは、『A』『A2』以来気になって全作品を追いかけているが、どれも刺激的でだ。この安南の王子を扱った作品も、素晴らしい出来だ。森さんのする仕事は、いつもきな臭いところに飛び込んでしまうが、それこそが彼が選ぶ対象や切り口が、他に比類ないモノである証左だろう。<P>僕は、「空白の近代史」というのを意識してして様々な作品を読んでいます。というのは、一般的に日本の公教育では、受験に忙しくて近代史をまともに教えないし、教えたとしても左に偏ったイデオロギー色の強いものが多い。誇り高き日本人を描いた司馬遼太郎さんも明治維新から日露戦争を中心に描いており、その素晴らしい日本人が「なぜあの無謀な戦争に突入して、暴発自滅したのかを解き明かしてくれない」と思うのです。!があると、なんでそうなのか、気になりますよね。現在の自分に直結する話しだし。その流れで安彦良和さんの『虹色のトロツキー』『王道の狗』やもちろん司馬さんの『坂の上の雲』小林よしのり『戦争論』などを比べながら読むと、当時の世界観がわかって凄く刺激的です。<P>とりわけ、最近有名なアジア主義の中心人物である頭山満と犬養首相らの複雑な人間性の描写と、西郷隆盛に連なる敬天愛人の思想は、なによりも情のつながりで出来ているという部分には説得力があった。多分この思想の本質は、同時代一対一の人間の繋がりからしか描写できないものだから、このような小説のような表現が最もあっていたのだろう。そういう意味ではメディアの選択も、テレビでないのが納得いった。このような埋もれた・・・・!けれど風化させてはならない歴史を思い出させてくれた森さんの業績に、多謝。

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